乃木坂46橋本奈々未卒業コンサートを見て
つい先日2月20日、さいたまスーパーアリーナで行われた、
"乃木坂46 5TH YEAR BIRTHDAY LIVE~橋本奈々未卒業コンサート~"
に参加してきました。
その名の通り乃木坂46の5周年記念ライブであり同時に大人気メンバー橋本奈々未の卒業ライブでもあったこの公演。
ただでさえ入手困難なチケットがより入手困難になっていたのですが、運よく1次先行で当選しアリーナ席を獲得いたしました。
ライブはアンコール含め39曲、時間にして3時間半、笑いあり涙ありありの構成となっていましたが、ぶっちゃけ長いし間延びしていてとても疲れました。
とても、疲れました。(強めのリフレイン)
39曲はやりすぎじゃ。ワシ途中から飽きてもうて関係ない考え事ばっかりしとったわ。(内輪差のこととか)
けれどガチ度合いの強いファンの方々にとってはそんなことはなかったに違いなく、逆にお得だなんて思っていたことでしょう。
彼女との別れを噛み締めて噛み締めて、笑顔で送り出す気持ちでライブを楽しんでいたはず。
確かにアイドルに気軽に会いに行ける今の時代、必然的に近くなったファンとの距離は応援している時の多幸感もさることながらその分卒業の喪失感(気軽に会えなくなる)も計り知れなくしているでしょう。
ましてや今回は卒業&芸能界引退なんてものだからその喪失感は格別で、不謹慎を承知の上で言えば死んでしまうのと変わらないレベルでもおかしくないはず。だって2度とお目にかかれないわけだし。
だからこれはつまるところ生前葬で、会場にいた多くの人は私のようにライブ中内輪差のことなんか考えることなく39曲3時間半のライブをしっかり楽しみ、間延びした感動演出にもその都度涙を流したはずです。
葬式ってのはあんまり思い入れがないと整理する気持ちもないので長く感じるもの。
サクッとyoutubeの泣ける動画くらいのちょうどいい尺(7分)に納めてくれたら私も気持ちよく感動できたんですが、それは言い過ぎでももう少しコンパクトに収めて欲しかった。
感動しに行ったところもあるし。
というかこの際だからついでに言うと、最近の乃木坂楽曲は本当にぴんとこない。(ポピパッパパーは相変わらず素晴らしいけど)
それに加えてそもそももう乃木坂のライブ自体に飽きてるのかもしれない。あんま興奮しないし。
じゃあ黙ってろよ。
そうですね、おっしゃる通りです。
おわりにします。
すぐ指笛吹くやつなんなの
すぐ指笛吹くやつってなんなの。
場を盛り上げるタイミングで、奥の方からピィピィ、ピィピィ。
黙れよ、うるせぇっつの。
ここは民族舞踊のお祭り会場でもねぇしモンゴルの草原でもない。
笛を吹く場所ではないの。ガキかよ。
そもそも指笛のために手が瞬時に口元へ向かうのが気持ち悪い。アホ丸出し。
そのとき手に劇薬でも付いてたら一瞬でセルフ金正男だし、そんな簡単にばっちい手を咥えられるなんて狼にでも育てられたのかと疑ってしまう。
非常に目障りで耳障り。
けれど同時に、指笛吹いてるヤツってのは可哀想であるとも思う。
なぜか?
あいつらは自分の指笛で場がより盛り上がったと毎度勘違いをし、指笛を吹いたことに対して一つも悪びれない。
実は指笛を吹くたびに一部の人間から、
「うるせぇな死ねよ出しゃばりが主役はオメェじゃねぇんだカス」
と思われているとも知らずに。
そりゃあわざわざ盛り上がっている場に水を差すようなことをする人間もいるわけはなく、彼らは今日も今日とて指笛を吹いてはニンマリと腑抜けヅラをする。
いわば彼らは他人から注意されることがない。
だからこれから先も一生、指笛を吹き続け、嫌われ続けるのだ。
そう考えるとほら、非常に可哀想ではありませんか?
だからそんな彼らにはこのブログから警鐘を鳴らして返す。
その指笛、スベってますよ。
(おしまい)
バレンタインの概念を変えよう
女の子の手作りチョコって美味しい。
けどそれってそもそも材料が既製品のチョコだったりするから当たり前の話よね。
なのに女の子たちったらそれを一から作ったかの様にしたり顔で振りかざしてきて「美味しい」の一言のみを求めてくるの。そりゃ美味しいよ。でもさ、なんだかなぁ。
そしてそれが渡す前にお菓子を作った達成感と満足感を存分に味わった上での行為っていうのがなんとも女の子。
強欲で傲慢で厚顔。おくゆかしくあれよ。
そもそも別に愛の告白の用途でバレンタインを消化してない女の子たちにとってはただのお菓子作りデーなわけだから、人に渡すのは作った"ついで"だと思う。てかそうでしょ。
なら女の子の間だけでやってほしい。
そう言うと「だったらお菓子なんてわざわざ作らないし」と返すだろう。そりゃそうだ。
じゃあどうすればいいの。
なんか女の子ばっかり楽しんでて俺たちつまんない。
せめて貰えるものにバラエティをくださいよ。
ここでひとつ提案。
いっそこの2月14日のバレンタインデーの概念を変えよう!
素人が作れるお菓子の種類なんてたかが知れてるからみんな一辺倒。
そういった枠組みだからこそみんなで盛り上がれる、という側面があるのでしょうが、それは貰い手への配慮に欠けています。
貰い手も一辺倒な、しかもチョコという偏った集中攻撃には飽き飽きするのです。
なのでこのバレンタインデー=チョコという固定概念はぶち壊しましょう。
そしてバレンタインデー=料理という新たな概念、
グルメバレンタインデーとして生まれ変わらせるのです。
グルメバレンタインデー。いい響き。トリコみたい。
しかし先程言ったように対象を料理全般としてしまうと今度は作り手側の女性への負担が大きくなってしまいます。
ということで、料理は料理でも、
バレンタインデー=おかずという概念へと昇華を行います。
名付けておかずバレンタインデー。
よくない響き。すみれセプテンバーラブ的な。まぁいいや。
話を戻して、おかずであればこれまでの手作りチョコ同様、頑張る人は頑張る、手を抜く人は手を抜くという図式も再現できると考えました。
そしておかずはありものを百貨店やスーパーで購入することもできます。これも本家と同じ図式。価格帯もほぼ同じだし。
またおかずバレンタインデーはビジネス的に過去以上の経済効果が見込まれるでしょう。チョコ作りでは偏っていた材料が、おかず作りではあらゆる種類の材料へと変わり、それらがバレンタインデー需要として消費されます。第一次産業大喜び。
我ながら素晴らしい提案。
バレンタインデーに餃子とか小籠包つつんでくる女の子とかがいてもいいと前から思ってたんですよね。しかも丁寧に冷凍で。
そしてその"冷凍で"という思いやりの気持ちは紛れもなくバレンタイン本来の趣旨に則っていると思うんです。
プレゼントする相手のことを思って、"冷凍"をしてあげる。そこには思いやりの愛しかありません。国生さゆりも手放しで称賛するでしょう。
もらう側がごちゃごちゃ言うな、と思うかもしれませんが、それは間違っています。
なぜなら男にもホワイトデーというものがあるからです。貰い手は貰い手のままではなくホワイトデーであげる側に転じるのです。だから言う権利がある。
言う権利がある!
けれどホワイトデーは適当にお返ししても大丈夫なのが世の常。それよりちゃんと返すことに意義がある。
だからそこはこれまで通りブレずに適当にお返ししてあげるのがいいと思います。きゅうりのQちゃんとか。
面倒なのは嫌ですもんね。
あーあ、今年は何をお返ししよう。全く困っちまうZE。モテる男はつれぇYA。
(おしまい)
盛ってんじゃねぇぞ糞ネコぶち殺すぞ
夜中にニャーニャーうるせぇぞ。
ここはお前らが自由に盛っていい場所じゃねぇ。
しっかりとお金を払ってしっかりとした場所で盛れ。
お金を払えないのなら働いてお金を稼げ。
それが無理ならここで盛るな。
いっそ自らその性器を噛みちぎってしまえ。
それが嫌なら働いてお金を稼げ。そしてその金でしかるべき場所に行け。
猫だからってタダで盛れると思うな。
お前らはこの世界にいる以上人間様のルールに従わなければならない。
お金を生み出さず人に飼われる価値すらないお前らはゴミ以下だ。
悔しかったらうんと働いてお金を稼げ。そして人間様と肩を並べろ。
お金は裏切らない。それはたとえお前が猫であったとしてもだ。
話はそれから。
だからこれ以上勝手にそこらで盛るんじゃない。
次はないぞ。ぶち殺すからな。
世界には愛しかない
日本の総理とアメリカの大統領が会談をして、人気アイドルが急死したと思えば過去の人気アイドルおばさんはしょうもないことで書類送検されている。セックスレス夫婦の割合が過去最高なんてのもあった。
ツイッターのトレンド欄はいつだってカオス。
喜怒哀楽が入り混じりまくっている。
けれど冷静に考えたら朝のニュース番組というのもよっぽどカオスだ。
なんならツイッター以上に。
深刻な顔で事件や政治を語ったと思えばすぐその後笑顔でスポーツ・エンタメを語る。なんならそっちに比重を置いて。
番組の構成上それは当たり前なのだが、気持ち悪さを覚えるのも自然。俺は悪くない。
別にワイドショーや夕方のニュースにはさして嫌悪感を感じることはないのだけれど、朝のニュース、というかZIP!とめざましテレビに対しては強い嫌悪感を感じる。
あいつら朝から揃いも揃ってアホ面で馬鹿っぽいしわちゃわちゃ小うるさい。
そんな雰囲気なら黙ってスポーツ・エンタメだけやっときゃいいのに、背伸びして真剣な顔で報道なんかしやがる。おいおい。
お前どうせニュースなんか読みたくないんだろ?承認欲求のためだけにやってんだろ?早くバラエティの進行やりたいんだろ?スポーツ選手と寝たいんだろ?
女子アナにはそう言ってやりたい。
そして「そうです」と正直な子にはそのまま「頑張れ」と心からの応援の言葉を返してあげたい。
世界には愛しかない。
と、なんで俺はこんなことに怒っているんだろう。
いや怒ってないよ。ただツイッターのトレンド欄をみて日本はおかしな国だと思っただけ。で筆を進めてみたらこの結果になったの。
世界には愛しかないの。
世界には愛しかないんだってば。(なんだこのブログ)
バイト帰りはフィッシュマンズでキマる
夜中とも早朝とも言えない午前4時過ぎ。
バイト帰りのBGM選びに迷う。
イライラを発散したいのか、はたまたモヤモヤを晴らしたいのか。その日の気分によって選曲は大きく変わる。
テンポが速い曲ゆっくりな曲。思想が強い曲弱い曲。バイト終わりで疲れているのでとても気を使う。
そしてBGMは音楽に限った話ではなく、ラジオという選択肢もある。
お笑いラジオなのかアイドルのラジオなのか。
笑うのか和むのか。これまた悩む。
これはいわばセルフカウンセリング。
その時の自分に合った最良のセラピーを。(誰だよ)
ということで今日のBGMはフィッシュマンズで決まり。
雪と始発と月明かり、ロケーション百点満点。
キマらないわけがない。
皆さんも是非。
野菜、甘けりゃいいのか
タイトルの通り。
「野菜、甘けりゃいいのか」
これはもう前からずっと思ってた。
本能寺でずっとずっとずっとずっと思ってた。
(以降、大したことないことを大袈裟に言います)
野菜を収穫した農家が、
「これ甘いから生でも食べられるよ(超ドヤ顔)」
言われるがままタレントがそれを食べて一言。
「とっても甘い!フルーツみたい!(超アホ面)」
馬鹿が。舐めんな。
このテレビの文脈に則った両者のやりとりは、
なんの疑いもなく視聴者に受け入れられる。
これって実は恐ろしいこと。
農家は野菜の"わかりやすい"アピールポイントとして甘さをチョイスする。
そしてコメントする側は甘さの"わかりやすい"比喩としてフルーツを使う。
このやり取りにはテレビに則っているが故当然言わずもがなのリテラシーが含まれていて、農家は野菜がただ甘ければ良いもんではないということ、そしてタレントはあくまで野菜としての甘さであるということを踏まえた上での発言をしている。
それがとても危ないのだ。
この定番のやり取りはお茶の間に表面的にだけ受け取られ、浸透し、人々の価値基準をジワジワと変えるだろう。
もちろんそれを後ろ盾するだけの現代の農業技術の進歩もめざましい。本当に甘いやつもあるし。
けれどこのままいくと野菜はどんどん甘いものが求められ、子供は本来の野菜の味を敬遠するようになる。そして農家はそれでは売れないので甘い野菜を作ろうとする。
そう、デスベジタブルサイクルの爆誕である。
(画像はイメージ)
デスベジタブルサイクルが始まってしまえば最後、甘い野菜ばかりがスーパーに溢れるようになり気づいた時にはもうあの頃の野菜の姿はない。 デスベジタブルサイクルが野菜の概念を変えるのだ。社会への影響も計り知れない。
では我々は、デスベジタブルサイクルを引き起こさない為に何が出来るだろうか?
…知らん。
そもそもデスベジタブルサイクルって何だ。
カッケェよ。言っててめっちゃ気持ち良いよ。
バンド組むならこれ名前にしたいぐらい。
愛犬に名付けるのも良いかも。
ってそんな問題じゃない。
はい。
ここまで雑魚の5流社会学者みたいな事を抜かしましたが私は本当にこの状況を危惧しています。
農家の皆さん、タレントの皆さん、スタッフの皆さん、今の時代は馬鹿ばっかりなので言わずもがなはやめましょう。
しっかりと、
農家「この野菜、近所の農家よりは少し甘いよ」
タレント「わぁ、確かに少し甘いかも!」
テロップ「注:甘いと言ってもフルーツほどではありません」
ぐらいのやり取りをしなきゃ。
でないとデスベジタブルサイクルに飲み込まれてまう。
デスベジタブルサイクルに飲み込まれてまうぞ!!!