羽生結弦のモヤモヤ
羽生結弦を見ているとすごくモヤモヤする。
彼の何にモヤモヤをするのか的確に言語化は出来ないけれど、その正体に薄々気がついてはいる。
彼のインタビューなどを見ているとそのモヤモヤは頂点に達する。
表情、口ぶり、仕草。
モヤモヤ。モヤモヤ。モヤモヤ。
しかしこのモヤっとボールを持つ手は投げることを許されない。
なぜならそれは投げたら負けを意味するから。
だから平静を装ってはみるんだけど、そのモヤっとボールを握る力は次第に強くなり、あのゴム製の緩やかなトゲトゲですらも手のひらを真っ赤に染める。いたい。
なんで負けなのか。
それはとても簡単に言うと、
「勉強ができてピアノも弾ける文化系男子がチヤホヤされてるのをよく思わない運動部のヤツ」
のような、スクールカーストのノリを未だに引きずってるダサいヤツだと思われてしまうから。
いつまでも中学生みたいなモノの見方しやがってだなんて思われたらこんな恥ずかしいことはない。
だから俺は絶対に羽生くんをキモいだなんて言わないし鼻につくだとかカマくさいとも一切言わない。
絶対に言わない。
絶対に。
乃木坂46橋本奈々未卒業コンサートを見て
つい先日2月20日、さいたまスーパーアリーナで行われた、
"乃木坂46 5TH YEAR BIRTHDAY LIVE~橋本奈々未卒業コンサート~"
に参加してきました。
その名の通り乃木坂46の5周年記念ライブであり同時に大人気メンバー橋本奈々未の卒業ライブでもあったこの公演。
ただでさえ入手困難なチケットがより入手困難になっていたのですが、運よく1次先行で当選しアリーナ席を獲得いたしました。
ライブはアンコール含め39曲、時間にして3時間半、笑いあり涙ありありの構成となっていましたが、ぶっちゃけ長いし間延びしていてとても疲れました。
とても、疲れました。(強めのリフレイン)
39曲はやりすぎじゃ。ワシ途中から飽きてもうて関係ない考え事ばっかりしとったわ。(内輪差のこととか)
けれどガチ度合いの強いファンの方々にとってはそんなことはなかったに違いなく、逆にお得だなんて思っていたことでしょう。
彼女との別れを噛み締めて噛み締めて、笑顔で送り出す気持ちでライブを楽しんでいたはず。
確かにアイドルに気軽に会いに行ける今の時代、必然的に近くなったファンとの距離は応援している時の多幸感もさることながらその分卒業の喪失感(気軽に会えなくなる)も計り知れなくしているでしょう。
ましてや今回は卒業&芸能界引退なんてものだからその喪失感は格別で、不謹慎を承知の上で言えば死んでしまうのと変わらないレベルでもおかしくないはず。だって2度とお目にかかれないわけだし。
だからこれはつまるところ生前葬で、会場にいた多くの人は私のようにライブ中内輪差のことなんか考えることなく39曲3時間半のライブをしっかり楽しみ、間延びした感動演出にもその都度涙を流したはずです。
葬式ってのはあんまり思い入れがないと整理する気持ちもないので長く感じるもの。
サクッとyoutubeの泣ける動画くらいのちょうどいい尺(7分)に納めてくれたら私も気持ちよく感動できたんですが、それは言い過ぎでももう少しコンパクトに収めて欲しかった。
感動しに行ったところもあるし。
というかこの際だからついでに言うと、最近の乃木坂楽曲は本当にぴんとこない。(ポピパッパパーは相変わらず素晴らしいけど)
それに加えてそもそももう乃木坂のライブ自体に飽きてるのかもしれない。あんま興奮しないし。
じゃあ黙ってろよ。
そうですね、おっしゃる通りです。
おわりにします。
すぐ指笛吹くやつなんなの
すぐ指笛吹くやつってなんなの。
場を盛り上げるタイミングで、奥の方からピィピィ、ピィピィ。
黙れよ、うるせぇっつの。
ここは民族舞踊のお祭り会場でもねぇしモンゴルの草原でもない。
笛を吹く場所ではないの。ガキかよ。
そもそも指笛のために手が瞬時に口元へ向かうのが気持ち悪い。アホ丸出し。
そのとき手に劇薬でも付いてたら一瞬でセルフ金正男だし、そんな簡単にばっちい手を咥えられるなんて狼にでも育てられたのかと疑ってしまう。
非常に目障りで耳障り。
けれど同時に、指笛吹いてるヤツってのは可哀想であるとも思う。
なぜか?
あいつらは自分の指笛で場がより盛り上がったと毎度勘違いをし、指笛を吹いたことに対して一つも悪びれない。
実は指笛を吹くたびに一部の人間から、
「うるせぇな死ねよ出しゃばりが主役はオメェじゃねぇんだカス」
と思われているとも知らずに。
そりゃあわざわざ盛り上がっている場に水を差すようなことをする人間もいるわけはなく、彼らは今日も今日とて指笛を吹いてはニンマリと腑抜けヅラをする。
いわば彼らは他人から注意されることがない。
だからこれから先も一生、指笛を吹き続け、嫌われ続けるのだ。
そう考えるとほら、非常に可哀想ではありませんか?
だからそんな彼らにはこのブログから警鐘を鳴らして返す。
その指笛、スベってますよ。
(おしまい)
バレンタインの概念を変えよう
女の子の手作りチョコって美味しい。
けどそれってそもそも材料が既製品のチョコだったりするから当たり前の話よね。
なのに女の子たちったらそれを一から作ったかの様にしたり顔で振りかざしてきて「美味しい」の一言のみを求めてくるの。そりゃ美味しいよ。でもさ、なんだかなぁ。
そしてそれが渡す前にお菓子を作った達成感と満足感を存分に味わった上での行為っていうのがなんとも女の子。
強欲で傲慢で厚顔。おくゆかしくあれよ。
そもそも別に愛の告白の用途でバレンタインを消化してない女の子たちにとってはただのお菓子作りデーなわけだから、人に渡すのは作った"ついで"だと思う。てかそうでしょ。
なら女の子の間だけでやってほしい。
そう言うと「だったらお菓子なんてわざわざ作らないし」と返すだろう。そりゃそうだ。
じゃあどうすればいいの。
なんか女の子ばっかり楽しんでて俺たちつまんない。
せめて貰えるものにバラエティをくださいよ。
ここでひとつ提案。
いっそこの2月14日のバレンタインデーの概念を変えよう!
素人が作れるお菓子の種類なんてたかが知れてるからみんな一辺倒。
そういった枠組みだからこそみんなで盛り上がれる、という側面があるのでしょうが、それは貰い手への配慮に欠けています。
貰い手も一辺倒な、しかもチョコという偏った集中攻撃には飽き飽きするのです。
なのでこのバレンタインデー=チョコという固定概念はぶち壊しましょう。
そしてバレンタインデー=料理という新たな概念、
グルメバレンタインデーとして生まれ変わらせるのです。
グルメバレンタインデー。いい響き。トリコみたい。
しかし先程言ったように対象を料理全般としてしまうと今度は作り手側の女性への負担が大きくなってしまいます。
ということで、料理は料理でも、
バレンタインデー=おかずという概念へと昇華を行います。
名付けておかずバレンタインデー。
よくない響き。すみれセプテンバーラブ的な。まぁいいや。
話を戻して、おかずであればこれまでの手作りチョコ同様、頑張る人は頑張る、手を抜く人は手を抜くという図式も再現できると考えました。
そしておかずはありものを百貨店やスーパーで購入することもできます。これも本家と同じ図式。価格帯もほぼ同じだし。
またおかずバレンタインデーはビジネス的に過去以上の経済効果が見込まれるでしょう。チョコ作りでは偏っていた材料が、おかず作りではあらゆる種類の材料へと変わり、それらがバレンタインデー需要として消費されます。第一次産業大喜び。
我ながら素晴らしい提案。
バレンタインデーに餃子とか小籠包つつんでくる女の子とかがいてもいいと前から思ってたんですよね。しかも丁寧に冷凍で。
そしてその"冷凍で"という思いやりの気持ちは紛れもなくバレンタイン本来の趣旨に則っていると思うんです。
プレゼントする相手のことを思って、"冷凍"をしてあげる。そこには思いやりの愛しかありません。国生さゆりも手放しで称賛するでしょう。
もらう側がごちゃごちゃ言うな、と思うかもしれませんが、それは間違っています。
なぜなら男にもホワイトデーというものがあるからです。貰い手は貰い手のままではなくホワイトデーであげる側に転じるのです。だから言う権利がある。
言う権利がある!
けれどホワイトデーは適当にお返ししても大丈夫なのが世の常。それよりちゃんと返すことに意義がある。
だからそこはこれまで通りブレずに適当にお返ししてあげるのがいいと思います。きゅうりのQちゃんとか。
面倒なのは嫌ですもんね。
あーあ、今年は何をお返ししよう。全く困っちまうZE。モテる男はつれぇYA。
(おしまい)
盛ってんじゃねぇぞ糞ネコぶち殺すぞ
夜中にニャーニャーうるせぇぞ。
ここはお前らが自由に盛っていい場所じゃねぇ。
しっかりとお金を払ってしっかりとした場所で盛れ。
お金を払えないのなら働いてお金を稼げ。
それが無理ならここで盛るな。
いっそ自らその性器を噛みちぎってしまえ。
それが嫌なら働いてお金を稼げ。そしてその金でしかるべき場所に行け。
猫だからってタダで盛れると思うな。
お前らはこの世界にいる以上人間様のルールに従わなければならない。
お金を生み出さず人に飼われる価値すらないお前らはゴミ以下だ。
悔しかったらうんと働いてお金を稼げ。そして人間様と肩を並べろ。
お金は裏切らない。それはたとえお前が猫であったとしてもだ。
話はそれから。
だからこれ以上勝手にそこらで盛るんじゃない。
次はないぞ。ぶち殺すからな。
世界には愛しかない
日本の総理とアメリカの大統領が会談をして、人気アイドルが急死したと思えば過去の人気アイドルおばさんはしょうもないことで書類送検されている。セックスレス夫婦の割合が過去最高なんてのもあった。
ツイッターのトレンド欄はいつだってカオス。
喜怒哀楽が入り混じりまくっている。
けれど冷静に考えたら朝のニュース番組というのもよっぽどカオスだ。
なんならツイッター以上に。
深刻な顔で事件や政治を語ったと思えばすぐその後笑顔でスポーツ・エンタメを語る。なんならそっちに比重を置いて。
番組の構成上それは当たり前なのだが、気持ち悪さを覚えるのも自然。俺は悪くない。
別にワイドショーや夕方のニュースにはさして嫌悪感を感じることはないのだけれど、朝のニュース、というかZIP!とめざましテレビに対しては強い嫌悪感を感じる。
あいつら朝から揃いも揃ってアホ面で馬鹿っぽいしわちゃわちゃ小うるさい。
そんな雰囲気なら黙ってスポーツ・エンタメだけやっときゃいいのに、背伸びして真剣な顔で報道なんかしやがる。おいおい。
お前どうせニュースなんか読みたくないんだろ?承認欲求のためだけにやってんだろ?早くバラエティの進行やりたいんだろ?スポーツ選手と寝たいんだろ?
女子アナにはそう言ってやりたい。
そして「そうです」と正直な子にはそのまま「頑張れ」と心からの応援の言葉を返してあげたい。
世界には愛しかない。
と、なんで俺はこんなことに怒っているんだろう。
いや怒ってないよ。ただツイッターのトレンド欄をみて日本はおかしな国だと思っただけ。で筆を進めてみたらこの結果になったの。
世界には愛しかないの。
世界には愛しかないんだってば。(なんだこのブログ)
バイト帰りはフィッシュマンズでキマる
夜中とも早朝とも言えない午前4時過ぎ。
バイト帰りのBGM選びに迷う。
イライラを発散したいのか、はたまたモヤモヤを晴らしたいのか。その日の気分によって選曲は大きく変わる。
テンポが速い曲ゆっくりな曲。思想が強い曲弱い曲。バイト終わりで疲れているのでとても気を使う。
そしてBGMは音楽に限った話ではなく、ラジオという選択肢もある。
お笑いラジオなのかアイドルのラジオなのか。
笑うのか和むのか。これまた悩む。
これはいわばセルフカウンセリング。
その時の自分に合った最良のセラピーを。(誰だよ)
ということで今日のBGMはフィッシュマンズで決まり。
雪と始発と月明かり、ロケーション百点満点。
キマらないわけがない。
皆さんも是非。